『未来の巫女』が拝火儀式の最中、はじめて出会う存在であり、その後のUPHYCAの巫女としての日々をいついかなる時もともに歩むこととなる相棒。それが『けもの』である。
『巫女のけもの』は裸の巫女を背に乗せ空を飛び、また時には単独でちょっとした「おつかい」に出てくれることもある。ちょうど西洋の魔女術でいうならば眷属(ファミリア)のような存在であるといえるが、注意しなければいけない点がある。
この『けもの』は巫女の呼び声に惹かれてやってきた精霊や精霊や地霊もしくはそれ以外の神的存在のようなものでは決してないということだ。
『けもの』は完全に純粋な状態で、それぞれの巫女たちの中から生まれ出る。巫女としての行も、イニシエーションすら経ていない、まっさらな個としての『未来の巫女』が自分自身の中から喚び起こした存在。それが『けもの』である。
彼は時に優しい父であり、魅力的な恋人であり、心強き友人であり、荒ぶる子でもある。
巫女自身の内的『ひこ』の化身であり、その口の喰らうあらゆる炎は源の火山へと還元し、その大きな瞳からは慈しみの涙として、蘇りの水を流す。
火と水の媒介者であり、循環の要でもあり、野性の象徴である。
つまり彼は巫女が人として生きる中で失った蛮性の発露そのものと言える。
刺繍文様において『けもの』は縄文みづちの姿で描かれる。
これは火である巫女の『ひこ』の水のせぢを強調するためである。
『はざまの女神文様』の手足の部分が『けもの』になっているのを簡単に見つけることができるだろう。また、『針は天』の歌詞の通り、「まどかひめかみ、とがりひこ」「とがりのひこはけもののやいば」として、赤い丸を巫女、青い三叉を『けもの』として見ることもできる。また尖りの意匠は古今東西魔除や防御のシンボルとされていることからも、『けもの』が巫女の守護者的役割を担っていることが窺い知れるだろう。
『未来の巫女』として『けもの』と関わる中で、彼がいかに変幻自在で、寡黙に見えて時に雄弁な存在かは、皆すでに理解していると思う。彼との関わりはUPHYCAの行を続ける限り継続する。『けもの』は巫女の内から生まれ出た存在ではあるが、行をこなすうちに次第に彼自身が自律した存在であるということに気づくだろう。彼との絆をいかに確かなものとしてゆくかが巫女の腕の見せ所でもある。
縄文みづちの例。井戸尻考古館より
『おつとめ』のひとつに『けもの』のお世話がある。
日々の営みの中で『けもの』に友愛を示すため、具体的な行動をとることを勧める。
食事の一口目を必ず与える、彼の好きそうな音楽を聴く、気に入りそうな場所に散歩に連れて行くなどである。特に『奔放の巫女』は熱烈な信仰の火を絶やさぬよう努める段階のため、過剰と思えるほど熱心に『けもの』と関わりを持つことを勧める。暦のけものと女神のように『けもの』と巫女が性的な繋がりを持つこともある。